hitofukiの日記

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2011年 03月 25日

北長野地震から2週間

e0211910_14403569.jpg避難所の食事風景:毎食、仕出し弁当に自分たちで作る汁や差し入れの漬物や煮物などが付く。どの料理も旨いし量も十分だ。この日は、水耕栽培生産者から差し入れのチマサンチュが出た。

e0211910_14481781.jpg小林茂監督らの撮影が木暮氏宅で行われた。
松之山の山の生活を記録すべしで去年秋、今年の冬と撮影している。その映像には木暮家の地炉端(囲炉裏)前での食事風景も記録されている。
廃屋同然の家を8年間かけて、木暮氏は自分で住める家にした。その家が地震の1分間あまりでこんなことになるなんて。
この日土台を点検する。柱は土台からずれおらずひと安心だ。


 地震後の片付け、掃除が昨日おわる。
 地震ボケで気持ちが入らなかったり、水の断水、バケツの水が凍る寒さもあって、ずるずる作業をしていたので随分と日数がかかってしまた。
 5日前から避難所から戻って自宅で寝泊まりしている。
 食事は避難所でいただいている。自宅が崩壊したわけではないので、途中で食事も家でとろうとしたけれども、食事の手伝いをしてもらいたいということと、人が少なくなり過ぎると残る人が気がねするという理由で、そうゆうことになった。
 毎食、1時間前に行って味噌汁を作り、盛り付けをし配膳をする。食後は洗いものして談話のあと戻る。
 今まで繋がりのなかった方たちと出会え、親しくなれたのが、私にとっては不幸中の幸いだ。

 ぼつぼつ被災者の仮の住まいが決まりつつある。
 今月中には避難所は閉鎖されると思う。
 木暮夫妻は、旧山村留学の施設に身を置くことになった。

 私の新居の土台がどうなっているか、日を追うごとに心配が大きさを増している。今、考えても仕方のないことだけれども。

 とりあえず、皆元気にしています。

 追伸:もっと写真を載せたっけど入力しても出てこない。なぜかなあ?
 

 
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# by hitofuki | 2011-03-25 15:51
2011年 03月 17日

地震報告その2

e0211910_15491492.jpg中立の新居の家は、西側の柱2本が折れ、上部の差鴨居も折れている。
この柱は元の柱に板をはっている。もちろん元の柱も折れた。
この柱の左は1間のサッシの窓、そして柱と続き、2本目の柱も折れた。豪雪のこの地では、半間に1本の柱が立っている。窓を大きくとるために柱1本取り去ったのかもしれず、それで強度が低くなったかもしれない。


e0211910_15525016.jpg地震の振動で破けた障子・小川新宅

e0211910_15571076.jpg亀裂の走るジョウヤ柱(大黒柱)このほかに2本柱が折れている・木暮宅

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散乱する生活用具。木暮家

e0211910_1610258.jpg盛り上がる地面。亀裂は木暮家に伸びる。地殻変動が木暮家を直撃したと思われる

e0211910_16152669.jpg
地震で雪崩もおきた。以前(20,30年前)は雪崩の到達したあたりには家があった。想定外の大きな雪崩だ・中立にて

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# by hitofuki | 2011-03-17 16:22
2011年 03月 17日

長野北部地震の直撃を受ける

 3月11日の東北関東地震が起き、災害の状況を隣の家でテレビ見る。
 押し寄せる高波、飲みこまれる家、田畑、車の映像に震えた。
 恐怖で夕食は喉をとおらず、せんべい2枚で済ます。
 余震が怖いので、明りをつけ、懐中電灯とコートをベットの傍において寝る。
 
 寝付かれなっかたが、12時を過ぎたころ眠りについつたようだ。
 3時ごろ、ドンと下から突きあげるような衝撃、その後すぐに横揺れが1分ほどつ続いた。
 ギシギシと音をたてて家がきしむ。 
 揺れがおさまったところで外に出る。
 近隣の人たちが外へ出てきた。
 浦田小学校の体育館への避難の連絡があり、浦田地区のだいたいの人が集まった。
 小学校の体育館が3日間、避難所になり、そのあとは浦田地区の体験交流館が避難所となり、私と木暮夫妻はここにいます。
 我が家は一部建てつけが悪くなったり、壁の漆喰塗りにひびが入ったけれどあとは無事でした。水はまだ出ません。
 でも震源地から10キロほどしか離れていない中立山の木暮家と移転を予定していた私の新居はいずれも柱が一部折れて、そのままでは住めない状態になった。
 雪が解け、地盤の破損状況によるが、木暮も小川もなおす気でいる。

 今回の地震は、先の中越地震より厳し揺れだた。
 特に浦田地区は被害が多い。
 でも東北の方たちに比べれば、本当にありがたいことです。
 浦田地区では怪我人は出ておらずありがたいことです。
 でも家屋が倒壊してる方もいる。
 涙ぐむ母ちゃんがいれば胸が詰まる。
 でも浦田地区は結束が強くて、避難所は和やかで、家庭的だ。
 食料、物資も十分過ぎるほど十分だ。
 昨日は避難生活初めての飲み会があり、楽し一夜だった。
 お酒のおかげで昨日は、地震以来初めて熟睡した。

 今日夕方、松之山支所で仮設住宅の話し合いがある。
 
 写真を添付しようとしましたが、お昼の用意をする時間なので、後日にします。
 
 ではまた。お元気で。
 
 
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# by hitofuki | 2011-03-17 10:54
2011年 02月 06日

飽きもせず、雪掘り

e0211910_16522218.jpg家の北側の屋根下の雪を片付ける。このままでは屋根の雪を下ろすと軒と雪が着いてしまう。(1月29日)

e0211910_16575722.jpg北側で削り取った雪は、家の東側をスノーダンプにのせて運び、南にある道路に出す。運び出す長さは40歩、約20メートル。

e0211910_175685.jpg
道の雪を飛ばす投雪車・ピーター。この
車で出した雪を退かしてもらうために早朝から道へ雪出しをする。よの日は4時から作業した。


e0211910_1794889.jpg4回目の屋根の雪掘り(2月2日)。下の雪どかしに手間どり、えらく雪が溜まってしまって、高さは1.5メートルだ。今年初めての3段掘りになった。通常1.5~2日で終わるが、今回は3日でもおわらない。北側の軒はまだ残している。ここのところ暖かいので目減りすのを期待して、もう少し量が減ったところで下ろすつもり。

 2日から雪が降りどまった。
 積雪4メートル以上になった。まあまあの雪の量かな。
 5年前の大雪に比べれば、まだまだ余裕だったけれど、4回目の屋根の雪掘りには、少し泣きそうになった。ここ数年の雪おろしの知恵で下の雪が邪魔にならないように工夫したけれど、追いつかなかった。
 5年前の時はスノーダンプを使わず、スコップで掘って、遠くに投げたので意外に回りに溜まらなかったなあ。でもそれはそれはきつい作業で、腰と腕にきく。それから5年後の私には、やめた方がよさそうな作業だ。
 天気予報をにらみながら、数日は裁縫仕事を楽しみたいが。
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# by hitofuki | 2011-02-06 17:37
2011年 01月 26日

皆さまのおかげでした

e0211910_940755.jpg今年に引っ越す中立山の家の雪掘りに向かうわたし。この家の母屋は自然落下だが、中門部分は違うので雪掘りに行った。

e0211910_9464857.jpg今度隣人になる木暮氏手伝ってもらいました。自然落下の屋根からいつ雪が落ちてくるか危険だし、初めての屋根なので同伴をお願いした。

e0211910_9533760.jpg同日、家の残り部分の雪掘り。近くの農家民宿「里美(さとみ)」の皆さまにお手伝いしていただく。とうとう下の雪と屋根がついてしまった。

e0211910_957433.jpg里美の常連客、税申告の手伝いにやってきた河野氏。去年は私の田んぼの代かきもしてもらているありがたいお方です。山口在住。

 22日、中立山の家と家の残りを雪掘りする。
 それぞれにお手伝いが来てくれた。毎日の雪掘りで、トホホだったので嬉しかった。
 一人で雪掘りをしないようにラジオで言っているが、どっこい少子高齢化、人出がなくて一人で屋根に上がっている人は多い。そしてわたしもいつも一人。
 一昨日、私の在住する浦田のじいさんが、落ちて頭から血を流す怪我をして救急車で運ばれた。
 実は1回目の時にわたしも落ちた。屋根の軒に足をのせた途端にすとんと落ちた。雪があまりなかったのでいつものように雪を十分にはらっておかなかったからだ。
 下には雪が1.5メートルほど積もっていたし、足からの着地したのでどこも痛いことはなかったが、スノーダンプとゆう重さ3キロほど金属製の道具が私の横に落ちてきた。これが頭に落ちたら大怪我をしたとたと思うとゾッとした。
 以後は近所のお家にお昼と夕方に電話をして、無事に下りてきたのを知らせている。もし電話がなかったら捜索に来てくれるようにお願いしている。そして毎回、お風呂によんでくれる。ビールと夕飯付きで。合掌。
 皆さまのおかげで生きられる、今日この頃です。

 昨日、今日は雪は小康状態で、少しホットしています。
 昨日の午前は料理を6種作り置きしました。また雪かまいで料理を出来ない時の備えです。
 大蕪と金柑の浅漬けは思いつきで作ったのですが、凄く美味しかった。
 
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# by hitofuki | 2011-01-26 10:48